愛憎劇の幕開け、私の生い立ちから遡って打ちのめされた。
それはもう口にするのもまして文字にするのも悲惨だった(TT)
母が私を生んだ理由。
「とりあえず子供を産めば離婚できるから」
いくら生まれてからまともに一緒に生活したことがないとはいえ
こんなあからさまに他人事のように当人に告げるとは。
成り行きで結婚したらしいが(デキ婚ではない)、その責任を子供に押し付けるなんて酷い話だ。
めでたく母は離婚し、私は祖母に預けられてそのまま成人した。
(結局父方も育児はせず)
そんな裏事情なんて知らなかった私は幼い頃いつか両親と暮らせると本気で信じていた。
いつのまにか増えた妹弟、イキナリ変わった名字。
知らないところで家族が増えている中、私の生活は変わらなかった。
小さな宮古島ではなぜか他人の事情をみんな知っている。
噂話は
光ファイバー並みの速さだ。
(時には本人さえ知らないことを知っている!)
親がいないことで理不尽なことをされたり言われたりしたとき、親も祖母も妹弟もすべての人を恨んだ。
祖母も心狭い思いをしていただろう。
今思えば、あの環境がちょっと?ねじ曲がった私の「個性」と「感性」を育んでくれたと思う。
おかげて退屈しない人生を歩んでいる。(何の業か知らないが・・・)
結婚と離婚を繰り返す母。
父親違いの妹弟が増えるたび、わけのわからない叔母の怒りをぶつけられ、
窮屈な生活をしていた頃、母は20万もするサングラスをかけて宮古島にふらりと遊びに来た。
そのサングラスを植物園に忘れてきたとかで大騒ぎになったことを覚えている。
そんな金があるなら仕送りしてくれればいいのに。
すると母が、
「まずは自分が幸せになってから子供たちのことは考える」
真顔で言ったのだ。
思春期の私はショックに耐えられず1週間で7Kgも激やせしてしまった。
(今は激やせの面影もないが・・・)
今回の母との愛憎劇の中で、同じようなことをまた言われたのだ。
(娘よりセクハラ男を取るそうな)
さらに、
「今まで一生懸命仕事をしてきて、それであんたには何が残ったの?!病気になってさ!」
一生懸命仕事をしてきたこと、それは私自身を支える貴重な人生経験になっているし、いろんな人とも出会えた。
病気になったのは仕事のせいか?それとも私のせいか?
相変わらず筋も常識も通らない話をする。加えて私を
「否定」する。
もう本当にうんざりした。
「母親の愛情」というものは私にとって「求めるに値しないもの」と認識した。
しまいには教会へ行ってお祈りすればいいからって、自分はさっさと舞台を降りたのだ。
教会と祈りに全部丸投げしようという腹だ。
しつこくがなり立てる母に、
「追い詰めないで!」
と叫んだら
「じゃ勝手になさい!!」
と逆切れされ、電話も切られそれっきりだ。
もう1か月以上になる。
その日からずーっと怒りと悲しみで眠れず、過去を思い出しては自分の存在がうざくて
すべてを終わりにしたいと考えていた。
そんな泥沼の中でも、やはり私は私なのか、
滅多にお目にかからない光景に出会った。
あるローソンで信号待ちをしていた時、向こう側の道で散歩中の人を眺めていた。
その人は犬を連れていた。
飼い主が知り合いらしき人を見つけ、話し始めたその時。
犬が電信柱の横でおしっこをした。
しかし!!
電信柱とは逆の、道側に向かっておしっこをしたのだ!!
なんとボケた犬なんだ!!
思わず大爆笑してしまった!
なぜ犬がそんなおしっこの仕方をしたのかは知らないが、おかげで久々に笑うことができた。
思い出し笑いをしながら家に帰り、帰ってからもマジ笑いだった。
この笑いがきっかけとなり、浮上準備ができたようだ。
冷静に自分について考えた。
母の「私を生んだ理由」はわかった。
その理由でとことん傷つき、自分の存在理由を見失っていたが、考え方を変えればいいだけのこと。
自分が生まれた理由はこれから探せばいい。
人が生まれた理由って本当は最初からはないんじゃないだろうか。
そう思ったら、心が軽くなった。
とりあえず理由はどうあれ、幸せになったもん勝ちって根性でなんとか生きていこうと思う。
そして見せつけてやりたい。
「男あっての女の幸せ」がすべてと思っている母に、いろんな幸せがあるということを。
多分一生理解できないと思うが・・・。
母には「母親としての愛情」より「人間としての情」を持ってほしいと願いつつ、
正直もう何も言わないでいてくれるとありがたい・・・。
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